Gradation


オリンピック開催中、TVのメインチャンネルは

関連番組で埋め尽くされた。

  

 国際情勢を知るべく、web以外で見始めたのは

テレ東「モーニングサテライト」と、テレビ神奈川「BBC ワールドニュース」。

 

  

 

 


後者 BBC でメインと思われる女性キャスターの衣装とヘアスタイルは

毎日ほぼ同じだ。

 

 

無地ながらビビットな色は 日々替わるものの

シンプルなノースリーブ(多分ワンピース)のデザインに殆ど変化はなく

ごく控えめにアクセサリーを付け

よくあるヘアスタイルで、全体的にすっきりまとめている。

 

その他のキャスターの印象も総じてシャープかつシンプル、と

そこに報道姿勢の一つを垣間見る。

 

 

もっとも男性に関しては、従来通りスーツ・ネクタイで

真夏に地球温暖化を報じた後にどうかと思うその姿は 日本と変わらないし

真冬になっても女性キャスターはノースリーブのような気もするけれど。

 

 


 

 

海外の政治家やキャスターの女性達は、立場に沿いつつも

洗練されたスタイリッシュなものを身に付けている印象が強い。






翻って国内のニュース番組には、以前から引っかかりを持っている。

 

 


それは、触覚ヘアと呼ばれる 顔の両サイドに少し髪を垂らすヘアスタイルを

ある局が女性アナ達になかば定着させている傾向で


「 就活シーンでは避けるのが無難 」と言われるようなスタイルを敢えて続ける事に

好みや印象は人それぞれであってもと、結構長くモヤッていたのだ。



もっと細かい事を言えば

あくまでサブらしき立場の女性アナウンサー達に多く見られ


そのような中でSDGsの話をされると どこか空虚さが漂うけれど

似たようなシーンは他所でも目にしてきた。

 

 

 

 

 

公衆衛生学者で、昨春から頻繁にTV出演していたという岡田晴恵さんも

同様のヘアスタイルをしていて

 

着ているものなども含め、いろいろと状況にそぐわない感じが否めず

逆向きの影響さえもたらしかねないと思ったし、耳を傾ける気になれなかった。 

 

 

後に局側が用意したスタイリストさんの意向と聞き

また最終的にそれがメディアというものだとしても

そこに賢明さは見付けられない。

 

  

つい先日、ストレートヘアにすっきりした服装の岡田さんを初めて見てちょっと驚いたが

最初からそうであったら、世の受け止め方は違っていたかもしれないと思う。

 

 

 

 

 

 

自民党の稲田議員も

外交的になぜそれを貫いていられるのか、なぜまわりは諫めないのかと

その服装が不思議でならなかったし、世間からも度々非難されていたが

 

ブランドに疎い私でさえわかるような

大きなロゴ付きのものを身に付けていた時

 


党も本人も

単に世の中を侮り、軽んじているんだと

ようやく悟った。

 

 

 

 

 




醸成された空気は、深層心理に大きく作用する。

 

 

 

  

 

蓮舫氏が首相に「そんな答弁だから、言葉が伝わらない」と言った時

その発言に対し「あまりに無礼」と

他メディアやコメンテーターから非難の声が上がったようだが

一国の長に覇気がないのは致命的だ。

 

対して「私自身は精いっぱい取り組んでいる」と、力なく返した菅さんに

国政を諦めた人も多いのではないか。

 

 

 

 

 

あくまで極端な話で、決してその行為が許されるものではないが

テロリストでさえも、そこに到った経緯を知れば

少しは同情の余地が残されている事もある。

 

 

 

 

 

 

だが政治に関わる人達は

自ら手を挙げた。

 

だから明確に責任が生じる。

責めを負う立場に、自ら身を置いたのだ。

 

 

 

だから責めていいわけでも、勿論ないし

本来責めたくもないけれど

 

あまりの無策さと迷走が続く現状は

目に余るという言葉では到底足りない。

 

 

 

 

 

 

「リーダーっていうのは考えなくていいようにする事が重要なのに

なんで全員考えないといけない?って思うんだ」

「考えるのが得意じゃない人が、考えなくてもちゃんと暮らせるようにするっていうのが

リーダーの責任でしょ」

乗り合わせたタクシー運転手の その言葉に「確かに、と思った」


落合陽一氏が そう話していた。

 


ー 考える社会の方が好きだけど、全てにおいて考えないといけない社会ってなかなかヤバい  

論理に強い人を生き残らせる構造になっている場所が多く、格差が広がるから ―


その例として挙げたのは  “ 複雑な給付金請求の手順 ” 

 

   


そして今、何度提出しても手続き不備で突き返され

理由が虚偽申請防止の一点張りで、窮状に陥った人々の現実が報じられるのだ。

 




 

 

― 菅さんは抽象的な言葉が多い印象です。どう見ていますか? ―という問いに


国語学者の金田一先生は「何も考えていないんだろうな、この人は」 と感じ

「その場限りの答弁を繰り返し、国民が飽きて聞く気がなくなるのを待っているんでしょう」

との見方を示していた。

 



落合氏同様、これも昨年末の話で

状況は好転するどころか悪化の一途を辿っていても

 

世の中はその通りになっていて

それではいけない事も、皆わかっている。

 

 

 

では何をすべきか。

 

 

 

 

未だ現政権を支持する30%の実態はどこにあるのか

私はまず、そこから考えたい。

 


 

 


   

 

 


このところ、かの局の深夜帯は

近代を振り返るアーカイブで埋め尽くされている。

 

 

 

近代史を足早に通り過ぎ、何とか終える歴史教育が

今 問題視されているようだが

 

私もそうだったし、けれどそこに学ぶべき事がたくさんあるはずとも思っていた。

 

 


だからありがたい機会と思い

内容の重さにダメージを受けながらも、順々に追っている。

 

 

中でも原爆を検証したものは

どれを取っても そのむごたらしさに改めて打ちのめされるが

いま一度しっかり心に留め置かねばならない。

 

 

 

 

 

 

そして、そこから繋げるのは乱暴だけれど

経産省の2030年電源構成目標案が出た事もあり

原発問題について考えをスライドさせる。

 

 

 

その構成には原発が20%程度組み込まれていて

政府は未だ原発ありきの姿勢を崩さないが

 

同年の発電コスト試算で、原子力は最安でもなく

3.11からの多大な問題は取り残したままだ。

 

 

 

自然エネルギー財団の試算では自然エネルギーの伸び率は

もっと高いと聞く。

 

政府の発表だけを鵜呑みにせず、広く情報を取り込み

CO2以外の諸条件も考え合わせ

こちらも より望ましい方法を模索していかねばならない。

  

 

 


 

 

  

 

理想が現実となったはずの”自由な社会”は

選択肢が増えた事で、逆に人生が複雑化し

 

もはや「無理ゲー」だという。

 

 

 

緊急事態宣言中、街中に繰り出すのは

ゲームから降りる事を余儀なくされた人達だ。

 

そして疎外感や絶望感が深まれば

軽犯罪からテロまで突っ走る。

 

 

 

問題映像は、どれも見れば心はザワつくけれど

社会の歪みがその根底にあり

非難し、罰する事では解決しない。

 

 

 

 

 

問題行動をせずに済んでいる人には

幸運な繋がりがあったのだ。

 

もちろん自らの努力も必要なわけだが

そこにはまず、基本的にバックグラウンドが用意されていた。

 

 

  

 

絵を描くという概念さえ持たずに育った人がいると知ったり

銃声が聞こえないから眠れるなどという話を聞くと

考えもしなかったその現実に愕然とするが

 

当り前ではない世界は、この日本にも

静かに広がっている。

  

  

 

 

 

 

経営思想家のドラッカーが

矛盾しない思想だけを押し付け、社会を壊した独裁者達を嫌い

一方で「論語と算盤」の渋沢栄一を高く評価したのは

 

その著書にある思想が、対極的で矛盾を含み

だからからこそ、矛盾した社会全体を包摂できるからという。

 

 




矛盾だらけの現実世界を

やわらかに生きるには


望ましい理念を携えながらも


グラデーションに境目を求めないような

ゆとりが必要なんだろう。


 

 




 



オフシーズンは

未だ取り組んでいない過去プロを

描こうと思っていたものの


細部の資料を用意できず

近影を描きたいところもあり




  結局のところ こちらに決めた。  

  


  




24TVの収録は

ショーの合間にでも行われたのだろうか。

 

  


  

  

 

この街は、恐しいほど感染者数が増えており

身近な人も感染する事態となってきた。

 

 

 

 

 

 

羽生さんが4Aを降りたら

 


短くはなかった願掛けを終え

ナイアガラを用意して祝おうと決めている。

 

 




それまでは永らえたい。





そう思いながら

今日も




描き続ける。