検証と理解


開催前から問題が続出した TOKYO 2020 は

実感を伴わない、もしくは反感のなか幕を開け

 



そんな混迷のもとにもドラマは生まれ、感動を呼ぶ一方で

 

懸念されていた COVID-19 感染者は

爆発的に増え、最大値を連日更新。

 

 



医療体制の逼迫

そして一部崩壊も囁かれ


政府への不信感は更に膨らむ。

 

 

 


負の歴史として刻まれるであろう それらを

無視するわけにもいかず


キーを打つ手はだるく、重い。

 

 

 

 

 

 

外では蝉が鳴き続け

 

 

  

さまざまに宙ぶらりんな

北京は



 

 

わずか半年後に


迫りつつある。

 




 


 

BTSがBillboardで その位置を確実なものとし、話題となった先頃

思い出したのは数年前の事案。

 

 

それは、メンバー着用のTシャツに


原爆投下直後のキノコ雲と

朝鮮半島が日本の支配から解放され、万歳する人々の画像に加え

”解放”  ”愛国心” といった言葉がプリントされ、問題になった件だが


それ以降の話は耳にしていない。

 

 

 

彼等は躍進し、多くの日本人にも支持されているようで

ならばきっと納得のいく その後があったのだろうと

 

原爆の日を前に、少し追ってみる事にした。

 

 

 

 

 

メディア文化研究者である北海道大学のキム・ソンミン准教授は

それ以前の発言やインタビューから、彼等は反日ではないとする一方で

 

TV番組の出演中止など、日本のメディア対応は過剰であり

 

グローバル化に対応しなければならないという

彼等への教訓になる機会を奪ってしまった、との見方を示している。

 

 

 

 


一方で、Tシャツの製作者も「反日の意図はなかった」としているようだが

“キノコ雲の写真のレイアウトは不自然” という

デザインを学んでいるという方からの指摘も見かけた。


 

確かに、画像の配置により KOREA の ”K” ひと文字を 縦数行に残せば

あざ笑うような印象を持たれる事も想定されるし

そのような意図がないならデサインの詰めが甘い、となるだろう。

 


こういった点から、「Tシャツはファンから贈られただけ」 との擁護に対し

「一般的には調べてから着用を判断するのが賢明」 との声も上がっている。

 



   

また他にも、Tシャツの件とは違うメンバーが

キノコ雲をバックプリントしたブルゾンを着ていた画像もあり

合わせて その真意を問われる事へと発展していた。

 



 

『どんな意図があるにせよ、「広島・長崎という二発の原爆が日本を降伏させ、

朝鮮半島の解放につながった」という歴史認識が、広く韓国世論一般で定着 』

文筆家の古谷経衡氏は、それがTシャツ着用の答えとしている。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/11/btst.php

 



また、BTSに反日の意図があったという受け止め方が世間にくすぶり続けているのは

メンバーからのコメントが 「不快に思った方がいるなら、申し訳なく思う」

といった事のみであったのが大きいようだ。

 

 

 

少し逸れて、原爆自体の話となれば

国内でも年齢などによって その受けとめ方は大きく異なり


 

韓流を好む女性たちは、原爆投下を「仕方がなかったもの」とし

“愛国心とカルチャーを切り分ける傾向“ との分析もある。

 

 

更に投下した側の米国でも近年

20代くらいの若年層では45%が投下は「間違っていた」と回答し

「正しかった」の41%を上回った。” という調査結果があり

 

「いろいろな理由があるが、個人的には「議論」が大きい」

とも、記されている。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1811/13/news049_2.html

※ 2ページ目 及び 4ページ目に記載 


因みに身のまわりにも「今の若い子は気にしない」との話があり

その年代の女子からも、リアルに同様の答えを得た。

 

 

  

また彼等は別件で、ナチスを想起させるステージパフォーマンスを披露したり

その記章を付けた事も指摘され 

アメリカのユダヤ系人権団体 (SWC) が謝罪を要求したとの記事も残っている。

 

 

 

そして先般、小林賢太郎氏がオリンピック開会式内のショー演出を解任された事から

「それに絡めてBTSの事をコメントに書くと表示されない」 と

ヤフーニュースのトピックが上がり


「小林氏はホロコーストに対する認識が甘いと世間で叩かれていますが、BTSの虐殺に対する認識は甘くないのでしょうか?」との疑問が投げかけられていた。

 

 

 

またこれは全く知らなかったけれど、BTSは他にも

水中でもがくようなシーンがあるMVを

 Japanese Ver. として2016年3月11日に公開し、物議を醸したようだが


" リリースがずれて震災の日と重なってしまい

追悼の意味合いも暗示した内容になっていると思う " といった見方もあった。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13157482243

 

 

一方で、2018年には国連総会で若者のメンタルヘルスをテーマにしたスピーチを行い

2020年にはBLM運動に約1億円の寄付もしている彼等。






一連を調べるには思いのほか時間を要したが、まとめるならば

①疑問を招くような行動が重なり ②望まない憶測から軋轢が生まれ

③脇が甘い印象も持たれた、といったところだろうか。




国民性や国毎の文化は多様だ。


中国専門家の柯隆氏は、国際間の話題の中で問題に直面した際に

「ルールなどで理屈に訴える」のが、日本人の国民性と話していた。

 

Tシャツの件を “割り切る過去“ としない向きが、少なからずあるのは

そのような「理」を重んじる特性によるものかもしれない。 



グローバルなこの時代に、BTSが心からの支持をより多くの人から得るには

問題とされた事の顛末と真意を、彼等自身で明らかにする事も必要なんだろう。

 




それに、二国間がこじれ続けている中でそれは理想論に過ぎないとか

割り切ればいい、という声は多いとしても

 

後にメンバー自身が、個々人としての人生を振り返る時を考えれば

答えは自ずと見えてくるはずだ。

 

 



そして、ややこしいが

 

冒頭の教授の話は

別な人が、日本のメディアに責があったとの主旨にまとめたもので 

そのまとめ方に教授本人が納得しているのか、更に言えば真意かどうかも解らないし


その上にこの場では、フラットなスタンスで臨んだものの

あくまで私の受け止め方を文章にしたという流れがあり

 

言わば、伝言ゲームのようになっている。



今の社会は、そういった伝聞が溢れているわけだから

俯瞰する事の大切さを いつも心に留め置きたい。

 

 


「一度先入観を持つと、その答え合わせで情報確認する。そして検証できる事実を持って正そうとしても、その先入観が全くクリアな状態に戻る事はない」

という、伊集院光さんの話を思い出す。


だから悪意を持って発した情報であっても、正しく上書きする事は無理であると言い

悔しさの中に確信された絶望が滲み出ていた。




答え合わせの方向に、人は思考を走らせがちと

私も常々感じていて


だからこそ言動には より慎重さが必要となってくるんだと

背筋を正される。



 


 


 

冒頭の通り調べ出した時は

開いた内容がネガティブ寄りなものばかりで不安が募ったけれど

なんとかニュートラルな形に落ち着き、ほっとしている。




羽生さんはきっと

諸々納得して受け入れたんだろう。



その上で、二国間の距離を少しでも縮められたらといった想いがあるのかと

考えもするのだ。



  


 

 

  





SDGs実現のキーワードである、多様性について語る際

許容や容認といった言葉がよく用いられるが


そこに含まれる「許す」「認める」という部分には

どうにも上から目線のイメージが拭えず


直接的に被害を受けた立場でもなければ

「受け入れる」とした方がいいように思う。


 

  


因みに、許すの語源は「緩 (ゆる) い」と同じらしく

緩さがあれば平穏は保たれやすいと捉えるなら腹落ちする。

 

 

また、罪や過失などを咎めない事を意味する「赦す(ゆるす)」は

常用漢字ではないため「許す」と記されるが

 

その深さゆえ、登用して欲しい。

 

 

 

大きな物事は問題があっても、割り切る事で善しとし

後に検証はせず

 

問題とされる事があった個人は

次々と叩いて捨てるような現状は耐え難い。

 

 

では、規律の中にも寛容さを保つ社会を築くために

まず どうすればいいのか。

 

 

 

 

個人の過ちは基本 改心により 許されるものと思うけれど

現実には様々な立場の 色々な思惑に阻まれ

 

経済を中心に動く社会ではネックともなるし

SNSは輪をかけてそれを困難にする。

 

 

 

直近で問題とされた小山田圭吾氏の場合

障害を持った方に対して幾度も行った犯罪レベルの凄惨な内容が、二つの雑誌で掲載され

社会的には公の場に戻れないという見方が大半のようだが、名目は  ”辞退” に留まった 。

 


 

かたや、上でも触れた小林賢太郎氏は

報道各所から「ホロコーストを揶揄した」と表現され、 “解任” となったが

小林氏の真意として、爆問 太田氏が話している。

 

それは、擁護ではないと前置きし

“一番酷いものの象徴” として選んだのがホロコーストであり

肯定する意味合いで持ち出したわけではなかった、といった内容だ。

 

 

対するように、古谷経衡氏は

「国際的な常識に従えば それがいつ・いかなる文脈の中で行われようと 一発アウト

場合によっては社会的生命を失う

擁護意見が少なからず出ているのは異常な感覚であり 驚愕した」と論じている。

https://www.newsweekjapan.jp/furuya/2021/07/post-15.php

 

古谷氏はここでもBTSのTシャツを引き合いに出しているものの

なぜかハーケンクロイツには触れないまま 断じた。

 

  

因みに、この件をSWCへの連絡したのは

中山泰秀 現防衛副大臣の "個人行動" で、

その後のツイートは自民党自体からたしなめられ、削除したとあり


何もかも遅いイメージしかないオリパラ運営なのに

小林氏の解任が決まったのはSWCから抗議を受けた1日後で

関係者によれば「危機感があった」からという。

 

 

そして、この一件から再燃しているのは

 

安倍政権下の2013年、副総理兼財務・金融相であった麻生氏による

憲法改正についての「ナチスの手口に学んだらどうかね」という発言であり

 

BTSや小林氏と同様に抗議を受けたが

そこに危機感はなかったとでもいうのか

 

麻生氏の存在は揺るがない。

  

 

そう言えば、つい先日のバッハ氏歓迎会の際

複数の人と顔がぶつかるくらいの場所で行動している

マスクなしの麻生氏が映し出されていた。


 

基本を無視する、そんな事を始めとして

他にも政に関わる人達が国民に対する要求と逆の行動をし

次々と報じられているのに

要求通りにならないと苦言を呈するのは

 

どの口が語るのかと

呆れてものが言えなくなるとはこの事だと

 

嘆かわしさが募るばかりだ。

  


 

また少し逸れてしまったが、事後の対処の話に戻ろう。

 

昨年 5/17 の自ブログにある一部分は、個人の過ちに関する事だが

肝心な思いを書き切れていなかった。

 

 

その部分を抜粋。

 

 

 

― そういえば、「この〇ゲ!!」の後にこの言葉を続け、注目されたあの人は

いつの間にものを語る席を得たのか。

 

考えや行動を改めて出直す機会はあるべきだと思うし 有能とは聞くけれど

  

他の人が散々その件を あげつらったであろうその場に

逆の立場で、別人のような声色で語る画面は どこかシュールで

  

気付かないうちに方向性を変える社会は不気味だ ―

 

 

 

 

これを書いた時私が望んでいたのは、過ちとされる事を

本人と迎え入れたその場それぞれが どう考え

その後どうしていくつもりなのかを知る事だった。 

 

 

結局その後すぐに、彼女を迎え入れる事をやめたTV局サイドには

一層の不信感が残るものの

それは情報を取りに行かない私自身のせいでもある。

 

 

だが彼女が本当に改心したか

そもそも録音されていたその状況に、やむを得ないと納得する事情があったなら

詳細は今もわからないけれど、BTSのように活躍する場を失わず


疑問を解くため私も、今回同様の行動を起こしただろう。

 

 

 

そう考えれば、過ちとされた事が本当に問題とすべきだったかを始めとして

経過と現状を勘案し、望ましい結論に準じていく社会が必要であり

基本は刑罰に至る場合と変わらないはずだけれど


そこでも問題が山積している現状があるわけで

根底から考え直し、流れを再構築するしかなさそうだ。



そしてそれはずっと前から多くの人が

薄々でも感付いている事なんだと思う。



  


 


  

 

ウイルスを敵視する声は絶えない。

 

 

 

 

長く続いているこの状況に対し

できるだけ軋轢が生じないよう 向けた矛先が

ウイルスかと思うし

 

身近に亡くなられた方がいたりすれば、それは仕方がない気もする。

 

  

「悪いのはウイルス」 「憎むべきはウイルス」という、メディアのアナウンスも

大きく影響しているはずだ。

 




しかし、何度も書いてしまうが

ウイルスを敵視する事が解決につながるかと言えば

それは違うだろう。

 

 


ならば と考えれば、視点も変わり

先に見えてくるものがあり

 


その考え方は、諸問題の解決策をも導く

 

 

 

 

 


感情に走らず

 

少しの楽観と忍耐を持って

考えと行動を変え

 

 

 

人それぞれの

大切な何かのため



望ましい未来へ繋ぎたい。