「大人の対応」

 


その言葉を聞くたびに

心がざらつく。

 

 

 

 

前ブログをアップするあたりで、メディアが大きく採り上げていたのは

 

テニスの大坂なおみ選手が

試合後の記者会見に応じない意向を示した件で

 

 

 

ありがちな切り取り方に思える編集のせいか、対するコメントは

一定の理解を示しながらも その重要性を説き


“立場上すべき事” としたものばかり。

 

 


つまるところは「大人の対応を」と。

 

 

 

 


その後大坂選手から、長く鬱に悩まされていた事も明かされ

事態をより良くする方法を話し合いたいとの意向も示しつつ、全仏は棄権となり

世間も一斉に沈静化した。

 



だが援護の声も静まれば

運営サイドやメディア側の根本的な改善も期待出来ず

問題は繰り返されてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

好き嫌いではなく、単に心惹かれる分野が違うため

私はスポーツ全般に関心がないけれど(個人的に フィギュアは芸術的なものへ区分)

頻繁に報道されるくらいの選手になれば 情報は自然と入ってくる。

 

 


世界中がBLMを掲げ、混乱のさなかにあった時(それは全く解決に至っていないが)

犠牲者の名前を記した7枚のマスクでメッセージを発し続けた大坂選手を

多くのメディアが採り上げた事から


私は彼女に敬意を抱いた。

 

 

 

 

この件や試合に於いては強靭に立ち向かえるような成長を見せながら

インタビューでは変わらず訥々と答えていた姿を振り返ると

 

その場はある意味、コートより身構えるものになっていたのであろう

今に至る心情が汲み取れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

スポーツに、そして著名人に限らず多くの人々が

言葉の刃に傷付き、言動を切り取られ

望まない方向に流されもしてきた。

 

 

 

 

 

 

今回の件については 

 

ワシントン・ポスト

「メディアとのやり取りは、選手を追い出すものとなってはならない」

 

セリーナ

「自身も会見場へ行くのが難しい時が幾度もあった」「ハグしてあげたい」

 

ナブラチロワ

「撤退と言う解決策は残酷だけれど、彼女を癒し自身を大切にする事に繋がれば」

「アスリートへの精神面のケアは軽視されがち」

 

ジョコビッチ

「とても勇敢で支持するが、立場上負っている事でもある」

※鬱症状が明かされた後は、「立場上」以降を省いたメディアもあった。

 

等々、多様なフィールドから声が寄せられている。

 

 

  

世間からの反応は「その立場なら応える事も必要」 と

特に当初は批判的な空気を含んでいた。



 

意向を示した後にSNSで発した言葉自体は、私も直情的過ぎたと感じるし

それが大きく影響したのだろう。

先のナブラチロワも「彼女は自分や他人のために状況を良くしようと思ったが

不注意で悪化させてしまった」と、語っている。

 

 

 

 

 

けれど、精神性をサポートできる何かを得られないまま この地位まで登り詰め

恐ろしいほどの注目を集める立場となった彼女は


言っても、まだ23歳で

 

 

ギリギリまで感情を抑え込み

ある時点で限界を超えてしまうタイプとも思われ


上述したように、鬱症状に悩まされていた事も公表された。

 

 

 


今回の件で真に問うべきは


慣例的に行われている、プロとしての自覚もプライドもない

デリカシーに欠ける一部のインタビューと 

そこに興味を持つ、やはり一部の欲求だろう。



立場上 “応えるべき” 事であっても、その内容や度合いで

問題は起きる。



その苦痛に耐えかね

大坂選手は声を上げた。

 

 

 



「大人の対応」という言葉は


社会が滞らないよう 自らが譲歩する以外に

多くの人々が無言の圧力で強いられた為に一般化したのだろうし


自分も応えざるを得なかったのだからと、他人にも求める気持ちを

誰もが無意識に持っているのかもしれない。

 

 




そういった、仕方のない事と自身に落とし込んでいる身近なものも含め


女性差別など、いま浮き彫りになった様々な問題は

人権を無視した慣習を強要され続けた末に浮かび上がっている。




 

 

 

どの立場にあっても、出来るだけ望ましいと感じる社会へ変えていく為には

どの立場であろうと考え続け、ほんの少しでも行動に繋げていく事が必要だ。

 

 


交される意見の中には

「インタビューに応じるか否かで賞金額を変えては」という提案があった。

これは基本的な部分はさて置き、変化をもたらす糸口としての具体的な一案ではある。

 

そういった発言からも、続いて闊達なやりとりが成され

解決する正しい流れを作って行ければと思う。

 

 

 

 

 

 

精神的なものを抱えたスポーツ選手には

キャリアへの脅威となりかねない重傷が度重なるというデータもあったが

一般的に心配や不安があるとミスを犯しやすい事からも、それは当然の話で

 

観戦者側もメディアに対し、必要以上のインタビューを求めない旨を明示したい。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

一方で彼女を鬱に追い詰めた原因のひとつと言われれるのは

SNSでのバッシング。

 

 

人種的マイノリティと位置付けられる二つのルーツを持つ大坂選手が

あの若さで世界のトップに立ち

巨額の賞金を得ている事へのやっかみも多いのだろう。

 

 

 

ヘイトクライムへの抗議といえば 

ミスユニバースのシンガポール代表が、そのステージで

” STOP ASIAN HATE “ と背面一杯に記したマントを翻し

広く発信する姿なども見受けられる。

 

 

しかし現状の変化は乏しく

バンドエイドが白人以外の肌色に沿う商品を(ようやく)発売といった

一部企業に姿勢を改める動きが見られるくらいで

 

長く刻み込まれた歪みを正すのは実に困難だと、再認識せざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

白人以外が約半数を占める成績優秀なイギリスの学校で

無意識に持っている人種差別をなくす実験が 行われ

 

生徒達は口々に、人種による違いはないと語ったものの

実際には そのように装う無意識の偏見が全体にあり


しかもそれはイギリスでの一般的な態度だという。

 

 

 

 

そこに発生する発言と行動の矛盾を

どうすれば正せるかを探るその実験は

 

上述した、人権を無視するような慣習の打開にも繋がるはずで

大変興味深いものだった。

 

 

 

 

 

 

それについては機会があればいつか触れたいと思うが

自戒もあり、記したいのは

 

 

無意識の偏見を様々に持っているのが一般的な人間であり

自身の偏向に気付いた上での

思考と行動の改善が必要だという事だ。

 

 




 

 

 

マスク自体が大きな意味合いを持ってしまった今

その姿も一度は描かねばと思っていたが 

 

今年ももうすぐ折り返すというのに

世の混迷は深まるばかり。



 


それでも彼は変わらず挑み続けているのだろう。




 

 


 


 

冒頭のような考え方が一般的な世の中で

私が子供だったら大人になんかなりたくない。

 

 

 

 

頼りになる大人も回りには見当たらず、明るい未来が描けない現状に

子供の自死が増えている。

 

 

 

 

 

 

小手先でごまかす時代は過ぎ去り

 

 

社会が浄化されなければ

彼等を繋ぎ止めようもない。