分断の対義語とは
ニュース番組のメインキャスターを務め、ジャーナリストとしても活動を続ける堀潤氏が
先月初旬、自身の番組内で取り上げたテーマ
「分断の対義語とは何か」
この禍中にと訝しく思われそうだが、さなかであるからこそ このテーマを基に
考え方も含め確認していきたいと、遅まきながら投じる事にした。
その提言は、堀氏が制作した映画 “ 私は分断を許さない ” の試写を見た 田中宝紀さんの
― では どのように手当てするのか ― というツイートがきっかけだという。
田中さんはYSCグローバルスクールという
海外ルーツを持つ子供達の日本語教育を支援している。
試写会トークイベントには、ウーマンラッシュアワーの村本氏も参加。
村本氏
- 現社会ではあらゆる場で数を求めるが、少数派の声は大事である
- 民主主義は”多数決で決める結果”として使われることが多いが、その中で取りこぼされた声を聞くのが当たり前
堀氏
- 効率が悪いというものの価値を認知しておかないと 民主主義を捨てる日が来るだろう
- 安定して豊かになれるなら、自分で決めるのはこんなスピード感ではやっていけないし 決めるのは大変だから誰かに決めて欲しいという考え方をしていると、あっという間に社会は変わるだろう
- 「忘却」の先に「分断」が生まれ、その先に「決断しない社会」が生まれるだろう
「忘却」は堀氏が手掛けた前作のテーマであり、
次作のテーマはおそらく「決断しない社会の誕生」だという。
氏は言葉それぞれの最後に注意深く「だろう」を付けている。
生きて行くには、考えるべき要素が多すぎて
頭の中は絡まったまま 二度とほどけそうにない。
だが思考を手放したが最後、本当に大事な何かも
その手から抜け落ちていく。
番組内ではさまざまに答えが提示された。
その一つずつを考える先に
あるいは救いを見出せるかもしれない。
途中で村本氏が語った、彼を支持する方からの話は
良心からの行動がねじれて作用してしまう危険性を的確に言い表している。
―あなたが “正しい誰か” を守りたいと思い、感情のまま発した言葉には
同様の言葉が返り
あなたのファンは言葉を返した相手に悪意を向ける
結果その言葉は、ただ分断を広げる暴力に過ぎなくなってしまう―
「感情的になって正しい誰かを守りたいと思った自分の言葉が、
実は分断を助長していただけ」
村本氏はそう結んだ。
正義感が先立ち、忘れがちなこの事を
何に対しても考え合わせなければ
世界は複雑に分断され続けるんだろう。
自分も自覚がないまま思い込みの正義を振りかざし、
分断を呼ぶ言葉を発した事があるはずだ。
それは悪意があろうとなかろうとしてはならず
正義の先に存在する対象にとっては ありがた迷惑でしかないと思うと恥じ入るばかりで
反省し、学びながら建設的な努力をしていくしかない。
民主主義など深く考えた事はなかった。
恥を忍んで言えば、今も殆ど何もわかってはいない。
しかしそんな私の目にさえ それはもはや
緩んだ指先に引っかかっているだけのもののように映る。
そんな あきらめの中に漂う社会を変えていくためにはどうすれば。
決め付けや思い込みを捨て キツい中にも考え続け
行きつ戻りつ歩み寄っていく
それが無知な頭から絞り出した答えで
理想論や偽善といった言葉は、自分の中から外れてもらう。
それらは人生をより良くするための、難しいけれどシンプルな手立てでもあるが
よく考えたら実生活で続けている事だと気が付いた。
なかなか成果が得られない現実に、そう上手くはいかないと溜息も交じり
今一度その考えに向き合う必要性も感じるけれど
またそこから、まずは黙々と
すべき事をしよう。
先日の情熱大陸で
「希望はあります」
「皆が行動自粛をすれば必ず流行は収まる」
と言い切ってくれたのは、ウイルス学者の河岡義裕氏。
すべき事は“意気込まずに”
“淡々と” 遂行する
そう語った部分を番組では” 信念 “と、ナレーションし
―不安と混迷に立ち向かうヒントかもしれない―
と繋いだが
それは先の見えない研究を長く続けていく上での
コツでもあるんだろう。
前後するが番組冒頭、
河岡氏もやはりこの3か月ほどは休まずにいながら
「僕は何でも淡々とできるから あまり疲れない」
そう言うと
少し間を置き付け加えた。
「しかも、当事者だし」
ここでも「淡々と」と話す河岡氏だが
そうは言いながら続く言葉は、自身に言い聞かせるようでやるせない。
私も前回綴ったが、多くの人が注目している厚労省対策チームリーダーの押谷教授も
数理モデルで感染の流行を予測する姿が繰り返し流される、同チームの西浦教授も
疲れのピークなど とうの昔に過ぎているだろう。
そんな二人がそれぞれカップ麺をすするシーンは
番組制作者も、私自身を含め 視聴者の殆ども
同じ思いで見つめたに違いない。
そして
謂れなき誹謗中傷や人権侵害を受け
精神の危機に立ちながらも
命を懸けて最前線に立つ方々や
社会を成り立たせるため働き続ける方々には
同じ思いで感謝するしかなく
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
先日、冷蔵庫が空になり
久々に食料を買い出しに出た先で目にした人は
手に入らない為か口元にマスクはなく
立ち入り禁止部分を横切っていた。
イヤホンで聞いているものは何だろう。
それが好きな何かで
そこからの呼び掛けがあったとしても
禁止部分を行くその人の心には届きそうにない。
おそらく自分を軸とした都合の良い考え方と行動は
誰もが陥りがちで顧みる事が必要だ。
そして、その耳に届く何かを探し続ける事も
既に届いている者の役割なんだろう。
羽生さんから私達のもとに
応援メッセージが届いた。
変わりなく見えるその姿と、今の状況を伺わせるものがない事に
心底ホッとする。
前ブログ内の一文が、応援メッセージが欲しいとの記述に誤解されかねないと
後日加筆したけれど
実際に発してくれた事は、心から嬉しく有難い。
彼のファンで
今も必要があり仕事に携わっている方や、伏っている方々には
ことさら励みになったのではないかと思います。
本当にありがとうございます。
目指す先への努力を、形は違っても続けている事でしょう。
身体に気を付けて、許せる人には気を許してお過し下さい。
あなたが幸せである事を変わらず願い
氷上に戻れる日を、ずっとずっと
待っています。
しっかりと、漏らす事のないように
何かを確認しながら話す姿は珍しく
今起きている事の重大さを痛感する。
一方で、
私は“あさイチ”でのパプリカ発言がずっと気になっていたけれど
これでもう気にする事はないと思い
また10代に戻ったようなモニター越しの彼が、その背中同様
確実に大人になった事を知るのだった。
―取りあえず ― と ばかり言うのも何だが、前々から考えていた塗り絵を
ソーシャルディスタンスの一つとして役立てる場があるかもしれないと思い、
「取りあえず」制作してみた。
つい先日もさとこちゃんが直近の塗り絵をアップしていて
その色使いは、彼女のパッションが伝わってくるかのよう。
そして自分は、さとこちゃんが使っているような
アーティスティックで繊細な大人の塗り絵への道は遠いと
今は悩むのをやめ
ただ黙々と作業を進めた。
クリエイティブな部分はわずかで ひたすら地道に根気強く
極力正確につなぎ合わせるために
切ったり、一体化させたり、馴染ませて妥協したりで
想定通りダメージが大きい肩と目をだましだまし
何とか完成。
やったー♡
できたー♪
それにしても
ひたすら
地道
根気
極力
つなぎ合わせ
一体化
妥協
まるでこの世の分断に対処するツールの一部が揃ったようだ…
で、
― クリエイティブな部分はわずか ―
そう。
わかってる。
生きて行くのはしんどいけれど、様々にヒントは隠れているから
また頑張ろう。
さて、塗り絵っぽくはなったものの
線の太さは大丈夫かなとか、PDFにしなきゃダメかなとか
いざプリントアウトして試そうと電源ボタンを押したプリンターは
全くの無反応…
2か月くらい前にスキャンした時は何の問題もなかったのに。
殆ど使わず、購入して8年くらいは経っているから そんなものかもしれないが
データを送ってコンビニでプリントというのも、今は外出を控えなければいけなし。
という事で、線の太さ等々何も試せていません。ごめんなさい。
画はブログ内最大の大きさで貼っておきます。
※ 利益を伴わない個人利用でお願い致します。
二次利用などは、固くお断りします。
これを作成するにあたり「塗り絵って実際どんなんだっけ?」と思い、ググってみたら
なんと、ファン・ゴッホ美術館が6月1日までゴッホ作品の塗り絵を公開中!
“アルルの寝室”や”ひまわり”、自画像など13種類をラインナップ。
無料でダウンロードできるとの事。
そういえば、各国の美術館が休館するなか
オランダの美術館で先月 ゴッホ作品が盗難の被害にあっていた。
そしてその日はゴッホの167回目の誕生日だったという。
… 困窮して及んだ事だとしても、きっと何かで返ってきちゃうよ …
多分プロの仕業と思うけど。
他にはエリザベス女王が毎週月曜日、子供達のために塗り絵をアップしているようだ。
様々な事が頭の中を行き交い
なかでも大小に関わらず、人間関係の繋がりというものの難しさを痛感する日々。
判断を仰ぎ、漫然と待っていても奇跡はやって来ないだろう。
しかし、気付きにより人それぞれが少しずつでも変わっていき
緩やかでも繋がりが生まれ
その先に起きるのは奇跡ではなく、奇跡的な事だ。
しんどい道中も
真のところで広く支持される、数少ない人達は
賢く、注意深く訴えかけ
または無垢な心で存在し
ここでも進み方のヒントを授けてくれる。
この下書き後に、S☆1の羽生さんと真央ちゃんを見た私は
まんま力強く二人に後押ししてもらったと思い込む事にして
また謙虚さの先に、答えは見つかると信じ
進んでいこうと思う。
その先に、たとえ答えが見つからなかったとしても
進む事自体が答えになるんだよ
きっと。
真央ちゃんがメッセージと共に披露してくれた塗り絵は
明るく温かな色遣いが彼女そのものだ。
彼女もまた揺るがず “ 浅田真央 “として在り続けていると、いつもながらに感じたあと
変わったようでその実変わらない日常が
その日もまた始まった。
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