視点の相違



誰もが知るような大きな選挙が

つい先ごろ、国内外で行われた。




アメリカ大統領選については

未だ混迷中でもあるので


根本的に考えている事を二つ

述べさせてもらいたい。

 

 

 

 



一つは 、書くのが度々先延ばしになっていた

オードリー・タン氏の提唱する「クアドラティックボーティング」

 

 

 

 

2018年、書籍 ” RADICAL MARKET ” で大きな反響を呼んだという

その新たな投票方法は 


一人がまず99の総ポイント数を持ち、1票を投じるには1ポイントで交換し

同じ対象に2票以上投じる時には、二乗のポイントが必要となる事から

こう名付けられた。

※一候補に使えるのは最大でも81ポイント使用の9票で 

残った18ポイントは必ず分散投票される。




これは

広く問題意識を掘り起こし、より良い方向性を見出せるはずで

まさに目から鱗が落ちるようなシステムだ。




一人一票と思い込んでいたのは

考えてみれば絶対的な原則ではなく


大体の場合、そして何に対しても

一択の判断は望ましくないはずだから。

 


 

 

 

また、大阪都構想なども

数値化した項目別に投票すれば

総合的な判断ができそうにも思う。





項目を目指すべき数値に置き換える事自体が難しいし

別の問題が生まれるのは容易に予想されるが


決まった事への紆余曲折は、考えた人全ての理解を深め


次なる解決への道筋を

少しずつでも もたらして行くだろう。 

 

 



これは奇しくもフィギュアスケートのジャッジに似たシステムとなろうが

フィギュアでうまくいかないのはジャッジする人数がまるで違うからだ。

 


そのうえ公平で正しい見識はどこへ、と思う場面も数え切れないし

予算は潤沢なはずなのに、この時代に於いて

アナログな環境だけで採点を続けてきた。

 

それにも関わらず、長い間決定的な改善が見られないのだから 

ひとえに既得権益による操作を疑われても仕方がないと思う。

 

 

 

  

閑話休題。

 

 

落合陽一氏との対談で、同氏は


投票に参加しやすい空気を醸成する方法として

短いスパンで細かく投票する機会を作り、「民主主義の回線速度を上げる事」を挙げ

 

― 民主主義の理想は 進んだテクノロジーによって叶えられる ― と語る。

 

 

 

落合氏からは

「8割で良しとし 多様性を認め合う社会」 のキーワードを

 " ほどほど " とする提言があり、同意を得ていた。

 

“8割” の感覚は人それぞれだけれど

以前も綴った「ま、いっか」の緩さはこれに通ずると思う。

 

 

COVID-19の収束が見えない現状に於いては なかなか難しい事かもしれないが

だからこそ必要な姿勢でもある。






また、オードリー・タン氏は別の場で

「 デジタル技術はもっと謙虚であるべき 」と語っていて

自分も確かにそうあって欲しいと思う。




けれど、ますます乖離していくような現状では

弱者としてデバイドされる側が立ち向かう事も必要だし


知る事は新たな悩みも生むだろうけれど

一方で派生するはずの、生きる上での面白みが

それを凌駕していく変化に期待したい。



 

 

 

 

そして、二つ目に言及したいのは

視点や向き合い方。

 

 


冒頭どちらの選挙に関しても、口角に泡を飛ばして語られるなか

「戦い」「奪還」などのワードを随所で見聞きしてきた。

 

「政治の選挙は戦争」と言い切るコメンテーターもいるし

世間の多くがそう捉えているから

報道の中に「論戦」といった言葉を散見するんだろう。



これも、報道側はミスリードしないよう

フラットでニュートラルな言葉選びが必要なはずで

大きな問題だと思うが 


現状はどこもそんな余裕はないか

もしくは お構いなしか


そもそも問題と思わないかのようだ。


 

だが以前にも書いたけれど、


選挙とは
「何かの目的のために何が選ばれるか」であり
戦いの場ではない

 


きれい事ではなく肝心な姿勢だから

それを戦いとして論じたり、臨んだリする中では

そもそもの目指すべき先が濁ってくると思う。

 

 


候補側が過剰にへりくだる事は不要だけれど

心ある有権者は、どんな場合も向き合う姿勢を自然と見ているし


双方がそうでなければ

希望ある未来は開けない。






今まさに、アメリカ大統領選では

経済重視の現状が克明に示されつつあり


世界は引き返せない道をひた走りそうで


見ぬふりをしていては

更に恐しい状況に陥ってしまうだろう。




そうであれば、オードリー・タン氏の言うように知恵を活かし

皆が心を寄せ合う以外 道はないように思う。


 

 

 




「向き合う姿勢」

 

そう書いて、また思う事がある。

 

 

 

 

ほどほどの緩さは

自他双方に必要な事だけれど

 

鷹揚でありながら、自らに厳しい人は

理想的なフィロソフィーのもとに歩んでいると感じるし

 

そこには自然と品格が醸し出され

人として在りたい姿がそこにに見出される。

 

 

 

 

 


 

 

 

何の衒いもないその自然な笑顔を

描かせてもらった。

 

 

 

 

 

 

 

笑顔を描くのは幸せなはずなのに

今回は特に途中まで、形になるのか不安でしかなかった。

 

 

 

指先も全部、しもやけが腫れて痛かったし

どんな姿勢でも肩が辛いし


勤務先では繁忙期に突入しつつあるというのに

扱うPCの基本的なシステムが変わり、残業も度々で

疲労感もハンパなく

 

この数か月特に、睡眠負債がたまり切って

洗濯物を干してる最中にも居眠りしているような状態だし。


 

 

 

そんな中、どうにも表情が近付かず何度も何度も描き直して

何日も浮かない気持ちでいたけれど

 

やっとそれらしき顔が浮かび上がってきて

なんとか救われる。

 

 

 

いや、他人から見れば全然描けていなくても

自分くらいはギリギリでも及第点と思えないと...




 

 

 

毎回毎回

どうしてこんなに時間を割いても上手くならないんだろうと

 

 

苦しくて

辛くて

 

 

それでもまた

ソワソワと描き始める。





見えない何かに

追い立てられるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

傍らでは

 

WixのBlogページを削除するか

12月には新仕様に勝手に移行されてしまうのかを選んで


今月中に作業しなければならない。




自分でテキスト保存していないから

ページを削除して内容検索ができなくなると不便ではあるけれど

そしてそんなに過去の文章が必要な事もないけれど


どうしようかと決めかねている。