観点


様々な出来事に

塞ぎがちではあったけれど


それでも金木犀の香りに

心が救われていた先ごろ





高山真さんが亡くなったと知り



深く打ち沈む。







慈愛に満ちた最後の言葉と

その無念さを思い



様々に考えを巡らせても

言葉が見つからず





今はただ

綴られてきた事への感謝と共に

ご冥福をお祈りするしかありません。








どこか遠くの話のように感じていた

この秋のジャパンオープン。



高山さんの訃報にひどく気落ちして

しばらくぼんやりとしていた事もあり


その放送に気付いた時

演技は既にネイサンのところまで進んでいた。






正直なところ 今季のフィギュアは

心が躍りかけても


またアンダーに流れていく。




それは、この状況下では仕方のない事かもしれないけれど

口にすべきではないようにも思う。





けれど どうしても今は

胸に留めておけない。





いろいろと疲れてしまった。






それは 季節や諸方向への無力感や

仕事の拘束時間が長くなった事に加え


身体の支障が多くなったせいも

あるのだと思う。






先日見たドキュメンタリーでは

難病と共に生きる親子を追っていた。





国内に於いては、指定難病だけでも330を超えており

番組内では 「薬ができるまで10年はかかる」 とナレーションしていたが


新薬の開発は

とてもじゃないけれど、そんな生易しいものではないはずだと思う。





私が免疫異常に起因する

膠原病の一つである指定難病と付き合いだしてから

6年ほどになっただろうか。




これには根治する方法がないとされているし

何かに対峙しようとする意識も持ちづらい。


だからといってウイルスなどによる疾病も

「戦う」というスタンスは、どこか違うんじゃないかと思っている。


一般に見聞きするCOVID-19への好戦的に思える向き合い方に

私が違和感を抱いてしまうのは、きっとこういった流れもある。





回復を目指すには、そういった姿勢でモチベーションを保つのが

一般的に有効であるのだろうとは理解しているのだけれど


別の観点から向き合いたいのだ。





それは

― 全ての事は繋がっている ―


ずっと前から一貫して変わらない、根底にあるこの意識が

絶対的な理由となっている。




悪とみなしてしまう事も一切

どんなに僅かであっても関わりがあり


それぞれの考えや行動が反映していくんだと思う。





だから熊などによる作物や人的被害の報道には、本当に心が痛むけれど

“ 害獣 ” という表現も利害関係からであるため引っかかる。


でも “ 害虫 ”の方に抵抗がない自分には、大いに矛盾も感じているのだ。




それはきっと自身への距離感によるものだろうし

COVID-19 への意識もそういった部分があるんだろう。



実感で言えば

身体の色々な不具合も、仕事が続けられているくらいの状態だから

こんなスタンスなのかもしれない。





出来事に至る経緯を俯瞰してみれば

加害や被害といった捉え方も多様だ。




以前、「分断の対義語とは」というタイトルでブログを綴ったが

そのようなところから考えを広げるのは大切でありながら


上記の「対峙」や、この「対義語」などの言葉は

 ” 対 ” という部分が 二元論や敵対意識を強く反応させ



本質を見失う方向に

流れてしまいがちな気もしている。





“ 諸方向から考え続ける “ のは、実にしんどい事だけれど

長い目で見れば、より良い未来への近道であるはず。


そして人には知恵があるのだから

何とかしたいものだと思う。





先ごろ、オードリー・タン氏の話に

そこへの光明を見出せた気がした。



これについては しっかりまとめるべきものと思うので

別の機会に綴りたい。








今作編集の一方は

羽生さんの顔から首にかけてベースの色を全て抜き

背景色に同化するような形に仕上げた。




前々作あたりで取り組んでいた

塗りにアウトラインを加えた描き方とは逆の


言ってみれば実体がないような状態で

陰影と目などのパーツにより顔を形成している。






Otonal のイメージは 初秋。







ずっと前から

作画中、ベースなどのレイヤー表示をし忘れた状態に

得も言われぬ感覚を持っていた。



Wixのブログにアップしていた一つがこちら。





今回、もう一方の編集は 

どこか Notte Stellata をイメージする 青系のベース。




それは、両サイトの Galleryが 共に

背景色がオレンジ寄りのピンク系に偏りがちなので

違う色にしなきゃ、と単純に思って。


でも

― 秋といえば、言わずもがなの Otonal ― と描き始めたわけで

季節感として青ってどうよ、と思いもしたけど

嵌った感があるので これはこれで良しとする事に。





逆方向のイメージに

なったのか。




今作は久々に元の路線に戻った。

やっぱり自分はこの描き方でいくんだろう。






別の描き方にトライして得たものは

考え方だった。




アウトラインやベースの有無による

境界や融合への意識。




それを世界の諸問題に反映させていく事は

上記 オードリー・タン氏の話に繋がると思う。








喘息の治療法は、どこまで進んでいるんだろう。


上にあげた画像のブログ内で触れた治療法より

効果的なものは見つかったのだろうか。






友人は、ご主人の喘息が酷くなった際

幸いにも切り抜ける事ができたが


一時は医師から

「覚悟も」と、告げられたと語っている。




喘息治療に評価の高い医院は

予約できた当日も7時間待ちと聞く。







医療の難題は

あまりに多すぎる。





それでも魂を傾け、従事される方々がいて

心から尊敬と感謝の念を抱くのに


世間の一部であっても、大きな風当たりや

政府からの支援の薄さは

彼等の様々な力を弱めていくはずで





今後一体どうなるのか

懸念するばかりだ。