“ HSP “という言葉が

このところ よく取り上げられるようになった気がする。

 

これは様々な事に敏感過ぎるタイプである「Highly Sensitive Person 」の略で

そう呼ばれてから、既に20年以上経つという。

 

現在 5人に1人くらいは“ HSP “であるとも言われ

他の特性を併せ持つ場合や、子供に対しての分類があるそうだ。

 

 

 

 

Wix時代、私も自分の強すぎる感受性について書いたことがあり

そういった傾向が顕著に現れている。

 

社会生活を送る上では、まあまあ難儀な事が多いけれど

そこかしこに 近いタイプの人が存在するらしい。

 

 

 


 

10代の頃、親しい友人の口癖であった「ま、いっか」という言葉が

今も変わらず頭の片隅に残っている。 


誰もがその意識を自分以外に向けられれば

もっと優しい世界が広がって行くんだろう。

  



そして辛い時には自身に向けてやり過ごせたらと思うが

救いを見出せず、薬物に手を出したり

自死へと追いつめられる人は後を絶たない。

 

 


そういった事を生み出さないためにも

広く公平な教育から生み出される、寛容な社会が必要だけれど


世界は逆の方向へ加速している。

 

 

 

 


「泳ぎや走りが苦手な人がいるように、時間の計算をするのが苦手な人もいるでしょ」



漫画家のわたなべぽんさんが

遅刻ばかりの友人にモヤモヤしている時かけられた この言葉から

 

― こちらの対処を変える事でイライラしなくなった ―

という話をされていた。

 

 

 

よく 「相手は変えられないから自分が変わろう」 とは聞くけれど

そのように根本である それぞれの特質を認められれば

対処も しやすくなるだろう。

 

 

 

いろんな考えがあるから軋轢は生じがち。


でも、だからこそ

面白い社会への可能性も生まれる。

 

 

  

 

 

私が言葉についてしつこく書くのは

 

軋轢になりそうな事を回避し

あらゆる意味での豊かさに結び付けていきたい、と思うからだ。



しかし、現実は難しい。



考え過ぎて おかしなプレゼントを選んでしまうような私自身は

日常の言葉選びにも四苦八苦している有様だ。





“ Black Lives Matter ”も” LGBTs ”も

COVID-19 に纏わり付く、様々なネガティブワードなども

 

そんな言葉が必要な時代があったと、笑顔で振り返れるよう願いたいけれど

道は遠く霞んでいる。



 

 

 

 

薬物の事件を聞く度

思い出す事がある。

 

 

かなり前、デザインの仕事に従事していた頃は残業が多く

しばしば徹夜もあるような状況だった。

 

そんな中、住居地である世田谷の駅前で

残業のため遅くなった夕食を済ませ

帰宅しようと歩き出した背後から


ボソッと声をかけられた。


 

 

「くすり、あるけど」


たしか、そんな言葉だったと思う。

 

 

 

 

少し驚いたが、そこに震えあがるような怖さはなかった。

 

30~40歳くらいと思しきその男が

なんとも冴えない空気を醸し出していたからだろう。

 

 

 

男は、手応えがないと見るや背を向け

静かに離れていく。

 

 

 

 

日付が変わるような時間ではあったけれど

開いているたくさんの店舗からの照明は明るくまわりを照らし


私は動じない風を装いながら

確実にその男が離れ切る事を祈った。



そして着いて来やしないかと、不安な思いを抱きつつも無事帰宅し

その後遭遇する事もなく 

駅のある地域に対する健全なイメージも変わっていない。

 

 

 

念の為書き添えておきたいが

私自身が派手な格好をしていた、というわけでもなく

 

ただただ、そういった問題は意外にも身近にあるのだと

肌で感じたのだった。

 



ましてや、忍び寄る影が絶えないであろう著名人は

気持ちがグラつけば 容易に陥ってしまうだろう。

 





先頃、大麻取締法違反の疑いで逮捕された伊勢谷氏は

以前より社会貢献活動に取り組んでいた。


問題に至った心中は知る由もなiいが

活動中に関わりのあった子供達への影響が、心配でならない。

 

 

 

 

 


道を踏み外していく人のきっかけは

それぞれに違うはずだけれど。

 

 

 

 

 

 

先日、同じ職場の人間が

不祥事を起こした。

 

 

 

 

 

報道で見聞きするような事に比べれば

可愛いものと言ってしまいそうな、ごく小規模の案件だ。

 

 

 

 

しかし周囲には

やり場のない思いがボディーブローのように効いてくる。

 

 

 

だって、「まさか」なのだ。

 

だって、「どうして」なのだ。

 

 

 

 

まだ若いその人は、発覚後すぐ

職場を去った。

 

 

問い詰めた結果 自白に至ったため

会社側から警察沙汰にする事はないという。

 

 

 

私も精神的ダメージが深い。

 

どうして、に加え

自白の糸口は


些細な事に気付いた、私の報告の中にあったというからだ。

 

その気付きは

きっと冒頭の気質による。 

 


何とも言えない気持ちにもなるが

まだ早いと思える段階で発覚したのは

その人の人生にとっては良かったと思いたい。

 

 



そして明晰なその人の頭脳が

巷に暗躍するような、デジタル犯罪の組織に結び付いたりする事なく


真っ当に仕切り直してくれる事を願うばかりだ。

 

 

 

 

 

そして問う。

 

 

私はその人に対して

何かできたのだろうか。



そこまで親しくはなかったものの、それは

寄り添えなかった言い訳にならない。



 

 

 

 

季節が変った。

 

 

 

秋はいつも

虚しくなりがちだが




この秋は

なおさら


虚無感に苛まれる。






 

 

同じシチュエーションを

続けて描く事はこれまでなかったけれど

 

前回とは極端に違う、年相応に見える表情を

やっぱり描きたいと思った。

 

 



バックの感じから花粉症に悩まされているようにも見えるけれど。

 

 

 

 




仕事帰り


人とすれ違う事がほぼなくなる

家の手前 数百メートルの辺りで、マスクを外す。

 

着くまでの数分間は

以前に戻ったかのようだ。

 

 

それはあまりに平凡ながら

幸せな時間だったのだ。