辿り着く



― 緊急事態宣言解除、25日に再度判断 ―




社会にとっての要・不要とは、と

時おり考えていた


自宅待機がもうすぐ終わる。


 

 


“ 不要不急 ” を常識的に述べよ、と言われれば

何となくの想定はできても

人それぞれに、またその時々で違うから軋みが出る。

 

 

 

先日、私は自身にあそびが少ないと思い

その言葉自体を調べていた。

 



余裕とかすき間とかいう意味の  “ あそび ”

 

 

それがないと「きしみが出る」のは 今の世相そのもので

巷には不協和音が鳴り響く。

 


原因の多くは、社会情勢に他ならないだろう。

 

 


最近に限った話ではないが

政府のアナウンスは上手とは言い難く

語り口こそ丁寧でも、驕りばかりが透けている。 


 

何にせよ、多くの人に正しく伝わらないと困るのだ。

 




このところ特に

言葉についてしつこく綴っている。


それは生きていく上でも大切なはずだし

こんなに考える時間はそうそう取れないと思うから。

 


 

 

いとうせいこう氏は、外出自粛の状況を 「強制された夏休み」 とし

あとはどんな宿題を提出するかだ、といった話をしていた。

 

 

 

それはどんな内容でも

提出する体にしても、しなくても

 

本人が良ければいいという事だと受け止めている。

 

 

そして私は、はっきり振り返れるくらいに

自分なりの結論を出したいのだと

 

いとう氏の言葉で思った。






多くの地域が既に、緊急事態宣言を ” 解除 ” されている。

 

 

映し出された各地には人が溢れていて

 

寄せた眉を戻しながら、繰り返される言葉は

「気の緩みがないように」

 

 

  

これって相反してない?

 

方向性が逆の事を、同時に要求するという。

 

  解除    →  緩める

気を緩ませない →  緩ませない

 

  

え?どっち?( 意識の方向性が定まらない )

      ↓

よくわからない状態になる。

      ↓

わからないから緩め具合をそれぞれに解釈し、行動する。

 

 

脳内でアナウンスする側に与した補足をしなければ

そうなるのか。


 

 

一連なりで補足を入れてみるとか、どうよ。

 

かいじょするけど じしゅくじょうきょうは しばらくつづくから ゆるめるのはちょっとずつ しんちょうにね

 

ぜぇぜぇ…

メディアの見出しもきちんと。

って、無理。

 

 

 

「 緩和する 」と言ったら?という意見もあった。

たしか EXIT の 兼近 さんだったかな。

他の出演者には響かなかったせいか、すぐ別の話になったけど。

 

 

『  緊急事態宣言を解除します

 外出自粛は緩和します 』

  

方向性としていいかもと思ったけど、" 指示される " 域は出ないから

モヤッとした気持ちが残るかな。


でもこちら側からの表現なら、大人な対応の感じでいいよね。

 

 

とか、ズルズルと書いてたら

このところ一気に使われ出した。

 

 


「 緩和 」はブレイディ・みかこさんも口にしていて

おっ、と思ったのは 「 自主的隔離 」という彼女の表現。

 

これは国民側からなら、毅然とした感じでいい。

対価を要求しやすそうでもある。

 

 

 

アナウンスは「自主的隔離をお願いします」で

受ける側は「じゃ、経済的な事はお願いします」

 

わ~整合性あるなぁ w

向き合い方もいい。

 

あ、でも

隔離って言葉は少し柔らかめに言い換えた方がいいのかなー

 

 

 

難しいねぇ。本当に言うは易しで。

金田一先生なら何て言うん…

 


そうそう!先生の声を久々に聞いちゃった♪

 

 

 

偶然つけた TV が COVID-19 のネーミングについての内容だったから

「うわ、1週早くやってくれれば」と思いつつ見続けてたら、声のみで出演。

 

先生は「Stay home」や「オーバーシュート」などを使う事について

見解を求められていた。

 



「Stay home」はわんこになった気分って、確かに。

 

パックンが言う「Stay safe」も、いいなと思っていたけど

馴染みがない言葉はスカしてる感じで、使うのはパスしてた。

 

 

「オーバーシュート」などは

事態を柔らかいニュアンスで伝えるためではないか、という話もあったが

 

先生からは 「全く新しい事柄なので、分かりやすい日本語を考える暇がなかったのでは?」という、優しいお人柄が滲む声と分析が。

 

 

 


で、COVID-19 の話は

いつだったか「19番目」の意味と聞いた(見た?)覚えがあるんだけど違っていたようで

正しくは発見年である 2019 年の末尾二桁だそう。

 

最終的には、いろいろ争いを生まないようにネーミングしたいね、とまとめられいて

私は「ほんとだよ」とリアルにつぶやいてしまった。

 



余談になるが、必ず目にするウイルスのイメージ画像は

大きさの認識が相当違って刷り込まれそうだ。


そこから感染防止の意識にズレが生じそうで

工夫が要る事だと思っている。


うっかりしがちだけれど

結構地味に効いてくるはずだから。 




先の話に戻って

いつの間にかマイナーチェンジし、タイトルも少し変わったようだが

今回見る事ができて良かったこの番組は “ 日本人のおなまえっ!” 。

 

 

開始当初は、名前に関しても興味があるし

古舘伊知郎氏が仕切ってたから何度か見たものの

 

望むものと何かが違い、数回見て離れた。

 

 

記憶があっているなら、古舘氏がフリー転身後

フジでも色々と深掘りする番組を始めていて

金田一先生もよくゲスト出演していた。

 

お二方には関係ない部分で

間違ってる?と思う内容もあり、モヤモヤしてるうちに

番組自体もモヤッと終わってしまったけど。

 

 

 

 

web 上の事に比べて、そんな TV の記憶の方が残っているのは

 

早送りやスキップする回数が少ないといった事も含め

発信側のスピードのまま受信する事が多いのと

作り込み方の違いもあるだろう。

  

そしてどの世代でも、生まれ育った時代のベースから来るものは固い。

 

 

 


受け手に合わせて、イントロはごく短いか

全くない楽曲が大勢を占めるような時世では

曲名も短くなければ、目に留まらず論外。


そんな、何もかも駆け足で過ぎた後に

語るものはあるのか。

  





耐性を失くした社会は

問題が増幅する。

 

ちゃんと考えながら、待てる事が

調和を呼ぶ基本だと思う。




それが私の考える

大人な社会でもある。




 

 

スピードを緩め、

まわりを見渡す事から始めたい。

 

 

今からでは遅い、ではなく

今だからこそ。

 

 

 

 



" BETTER STARTS NOW "

 

時計ブランドであるシチズンの理念である

この言葉の意味するところは

 

「どんな時であろうと『今』をスタートだと考えて行動するかぎり、

 私たちは絶えずなにかをより良くしていける」

 

 

これに重なる「今の自分に慢心することなく常にベストを尽くす姿勢」が

最大の魅力だとして、昨年腕時計の広告に起用されていたのが羽生さん。


 

 

 

リンク再開の情報も流れている。

 


いま彼は、何を胸に秘め

未来を見ているんだろう。






話題はFaOIに移っていそうだけれど

1週刻みのこのブログでは、ひとつ戻って話をさせて頂きたい。

 


「Let’s go crazy Ⅴ」 から、練習着の一作を挟んで 「Notte Stellata Ⅳ」 をアップ後

思いがけず World 2017 の動画が配信された。


あの時を今再び、胸に刻んだ人も多いであろう

もはや伝説的なヘルシンキ。

 

 

私もまた、懐かしさを傍らに

思いを一にした。

 

 

 

演技については

言葉を尽くしても

すべてに足りないから諦めて

 

その分も、と

描き続けている。

 

 


フリーの Hope & Legacy は、このところ描いていないけれど

他の 2 プログラムを偶然にもこのタイミングで描けた事は

とても幸運に思い、嬉しい。

 

 

このシーズンのプログラム名でナンバリングしたタイトル作は

 

Let’s go crazy が 5作。

Notte Stellata が 4作。

Hope & Legacy が 3作。


と、なるけれど

 

その衣装や印象的なポーズで描いた別タイトルの画もあるし

一度公開したものの 削除した画もある



そしてやっぱり

描き上げたものは全て私も

「この子たち」と思っている。

 

 




当時描いた Hope & Legacy も コラージュしてみた。



このところ特に、次に描くシーンを決めるまで時間がかかっている。

 

先週は特に思い悩み、


時間を無駄にしたくないのと

外出自粛生活もひとまず終わりそうなので

腹を据えてPCデータを整理しまくった。

 

画のデータは都度、慎重に保存してきたけど

雑記やメモなどはその瞬間に留めるので保存も雑。

 


でも、もう大丈夫。

しっかりフォルダ分けできるように

吐きそうになりながら(マジ)頑張ったから。

 

 

    

 

次の画をアップするまでには

仕事も再開しているはずだ。

 


その後事態がどう変わろうと

描けるところまでは描く。

 

 

黙々と。


時にめげそうになりながら

また

 

淡々と。






金田一先生のところから

話がどんどん逸れてしまったが


私自身としては


『良さげに言語化できない、という事は

 おおもとに無理がある』という


自分の馬鹿さが丸出しの結論に至っている。







「募集」と「募る」が別の意味と語る

無理くりな口から出る言葉は

どれも虚ろに響く。


いざという時

この国で生き抜いていくのは

なかなかにしんどい。




平和ボケと長く言われてきたのに

自分の茹でガエルぶりにも呆れるしかない。






でも、

だからやっぱり、みんなに無理のない社会を

少しずつでもみんなで作り上げていきましょう。



辿り着いたのは、そんな当たり前すぎるようで

その実 とても難しい事。




終着点だったはずが、実は出発点でもあった

その先は


果てしなく遠そうだけれど くじけずに。








それにしても、だ。

 


じきに見る事もなくなりそうだが

リモート番組に時々映りこむタスクバーは

ちょっと本棚的で興味深い。



それと、大変なんだろうと思いながら気になるのは

一面ファイルだらけな医師達のデスクトップ。


重くならないの? 

 

 

 

以前、羽生さんがカメラ側にノートPCの画面を向けた時

一時停止してガン見したものの

彼のPCではなかったようで。

 

 

 




何を考えてるんだろう。

 


だからと言って

知る事は望まない。

 

 

 



元気で

この状況下でも、できるだけ幸せな日々を過ごせるよう




変わらず私も

祈り続けている。