日々の中で



ネイサンによく似た人と話す機会があった。


 

顔の造りは " 遠からず " と言ったところなのだが

骨格やヘアスタイル、パーカーを羽織った全体の雰囲気が

とにかく " ネイサン " なのだ。



なにより初対面だし、二十歳前後くらいの日本人男性が

海外のフィギュアスケーターを知っているとも思えなかったが

あまりに似ていたので話を振ってみた。




きっと誰かに言われた事でもあったのだろう。すぐさま

「自分でもネットで見たら自分かと思って」

との答えが。


「でも、全然スケートとかしないんですけど」

と続けるその青年は、偶然にもこれから渡米するという(!!)



「あちらでも言われるかもしれませんね。

今アメリカでフィギュアは以前ほど人気がないようですが、

あれだけのジャンパーですからね。」



青年はやはりネイサンのように静かな笑みを浮かべていた。





何気ない出来事として綴ろうと思い返した時、はっとした。

スケーターではなく私は無意識に ー ジャンパー と言っていたのだ。


はたしてそれはネイサンにとって不本意な事なのだろうか。




私はジャンパーと言い放ってしまったが、彼は遥か先まで見据えた上で

今すべき事の一つとして粛々と滑っているんだろう。


白人至上主義を助長し、やりたい放題と思える長がいる国で

アジアのルーツを持つ彼が如何に人生を充実させていくかという事に視点を定め

選び取った方向性なのではないか。


私は勝手にそう受け止めている。




バレエの素養もあるネイサン。

国やルールの実情が違っていたなら、羽生さんと根底の部分から競えたのかもしれない。



タラレバを語っても仕方がないが、そうであるなら

残念でならないのは羽生さんだろう。




そしてもしそうであったなら、彼はここまで心身を痛める事もなく

思い描いた世界を表現できたのかもしれないと



返す返すも残念でならないのだ。












もう一つ日常にあったささやかな事だが

年末に「羽生」姓を持つ方と出会った。


その女性には話かけるのに何となく躊躇するような空気感があった。




それだけで話を振るなんてファン丸出しっぽいじゃん、とためらいはあったものの

私は何気なさそうに話しかけるタイプ。


「今の時期、羽生選手の話題を振られませんか?」

(まさに私ですが...)


話を切り出すと瞬時に女性は柔らかな表情になり

笑顔で答えてくれた。


「そうなんですよ、でも全然関係ないんですけどね。」



常に固い語り口なので、私は気難しく捉えられているんじゃないかと思う。

まぁそうである部分も多いかもしれないけれど

なんの事はない出来事にふわふわと嬉しい気持ちになる単純な人間でもある。



で、実際のところ単純に嬉しくて

( やだ、そのうちブログに書こー ♡ )

と思いつつ、今に至った次第です...






ここからはフィギュアと直接的には関係ない話になるが

元SMAPの中居正広氏がジャニーズを退所する報道を目にした。


応答で中居氏は「 1%から99%の中で 」といった表現を度々している。



物事はこのような考え方が重要なはずで、all or nothing からの思想は争いを生み易い。


日本人は特にその傾向が顕著であると言われ、良い方向に作用する場合もあるはずだが

皆がいま一度、思いを巡らせる機会になればいいのになと思う。