一義
休日の朝、目覚めて点けたテレビ。
氷上にしゃがみこんだ青年は、大きく肩で息をしていた。
金メダルに輝いたのは
黒髪にアシンメトリーな衣装のその人だと、ナレーションが入る。
フィギュアスケートは、美しいものを好む母親がよく見ていて
私もスポーツと捉える事なく、幼い頃よりライトに見続けていた。
申し訳ない話だが、男子は流し見していてよく覚えていない。
片や長く君臨したミシェル・クワンなど、女子は記憶に残っており
中でもよく観ていたのは村主さんや安藤さん、真央ちゃんらが鎬を削っていた頃だ。
しかしキム・ヨナ絡みで辛そうな真央ちゃんを目にするのがあまりに辛く
意識的に避けるようになってしまった。
そこから5~6年、人生に於いて大きな転機が訪れ
新聞や本を読む事もままならない時期が続く。
またスポーツには元々関心を持たなかったので
その手のニュースには関らずに過ごしていたけれど
かつて楽しみにしていたフィギュアという事もあり
その時は家事をしつつ、耳を傾けた。
先の青年はインタビューに答える。
「結局何ができたのかなと思っていた」
意外な言葉に家事の手が止まり、TVを見遣ると
幼さを残す顔がどこか浮かない表情を浮かべている。
「僕一人が頑張っても直接復興の手助けになるわけではないので、凄い無力感がある」
「震災や復興に対して出来る事のスタートなんじゃないか」
結果に沸くメディアはこぞって関連映像を繰り返す。
青ベースのシンプルな衣装で溌溂と滑り、軽やかにジャンプする演技は
素人目にも確かに点数通りの素晴らしい内容と見て取れた。
しかし、なぜだろう。
私はあまり心惹かれなかった。
一方で、ジャンプをミスし演技内も演技後も苦悩に満ち
耳に残るコメントを発した彼に、この時関心が向いたのだ。
私の身辺が一時的に落ち着き始めた頃でもあった。
そこからー 羽生結弦 ーという、一言では表しようがない人との関りが始まり
沼と例えられるように、その人間性と演技に嵌っていく事になる。
一身上の変化があり二つの大きな病とも関り始めていた自分は、3.11も経て
人生というものはあっという間に終わってしまうものなんだろうと感じてもいた。
その辺りで、少しばかりHTMLを学んだ際
講師からパソコンで絵を描く事を勧められる。
当時絵は全く描けないから
羽生さんのスコアをグラフにしたり、パワポでスライドにしていたのを
"紛らわせている"と察してくれたようにも思う。
講師には、かつてごく短い期間だけれど
グラフィックデザインの仕事に就いた事を話していた。
直接つながらなくても、講師が全く見込みのない人間に勧めはしないだろう。
そう思い込む事にして、自分にしては珍しくチャレンジを始める。
それが苦悩を携えながらも、日々が鮮やかな彩りを持ち始めた転機だった。
すべき事をしたら割ける時間は全て描く事に費やし、時はあっという間に過ぎて行く。
彼ほどではないにせよ、この4年半は何もかも脇に追いやってきた。
残念ながらそれは、描く事ができる喜びによるものだけではない。
先に綴った病の一つは難病であり、毎晩一定時間ではあっても
指の血流が止まり感覚がなくなる冬の時期は少なからぬ恐怖感がある。
滅多にないようだが戻らなければ切断との事例も聞くし、
肺の症状にも気を付けなければならない。
もう一つは昨年年明け早々、おそらく2度目だったと思われる症状の件。
先に救急搬送された時に比べれば軽いものではあったが
それでも1週間ほど頭痛と吐き気で少し食べる事さえ困難だった。
自分への戒めとして、無理しすぎないよう部屋に張り紙をしてみたが
病の元凶であるストレスが発生するのはやはり職場であり
やりがいはありつつ、多忙さとそれに起因する人間関係は如何ともし難い。
更にはいくら寝不足であっても、描かなければという気持ちが抑えられず
早朝とさえ言えない真夜中に起き出しては描いている。
呷るように眠気覚ましのミルクティーを流し込む日々は
いつまで続けられるのか。
新たな病も電化製品の故障が続くかのように増えていく。
ディレクトリが右肩下がりに見えているのに気付いたのは一昨年。
原因もわからなければ治療法もないと、あっさり医師に告げられる。
果たして自分の描いたものが傾いているのかもよくわからない。
他の細々した事まで言っていたらキリがなく
年だからと一束にして、脇に追いやった。
こんな状況で、傍から見れば馬鹿げているかもしれないけれど
上手くなくても生き甲斐となるほど夢中になれる事を与えてくれて
生きてきた中で今、最高に幸せな時をもたらしてくれるのは彼だ。
そんな何の力も持たない者に及ぼす
信じ難いほど大きな彼の影響力を証明したいのだ。
一瞥で証明できるように、少しでも描けるようになりたいと思うのだ。
長々と綴ってしまったが、前ブログで
「今は更にアクセルを踏み込んで描く」
とした真意はそこにある。
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