言葉の持つ方向性



痛ましい出来事が続く。

 

 

沢山の方が犠牲となったビル火災。

そして又も、若く著名な人の死。

 

 

 

亡くなられた方々に対し、悼む声も続いている。

 

 





 

いっとき呆然とし

次いで涙が止まらなかった私も

 

 

その無念さを思い

 

今は安らかに解き放たれる事を

心から願うばかりだ。

 

 

 



 

 

一方、巷では

放火したとされる人物の背景からカテゴライズした偏見が飛び交っているようだが

 

それは社会から個々人への刷り込みが

一部の人にわかりやすく表面化したという事だろう。

 

 



何故ならここに至るまで

精神的な重さを抱える人々に対する偏見と中傷と、そこからの間違った施策もされた

根深い歴史が続いて来たのだから。

 

 



また、そういった攻撃性は

自己防衛本能によるものかもしれないけれど

 

あらゆる事から学べる今もとなれば

自ら愚かしさをアナウンスするようなもので

 

 

そこに気付けたなら、救われる事もありそうだが

気付けずに続くとしたら


むしろそのほうが病んでいる。

 

 

 



ただ、時間を割いてまでweb上に誹謗のテキストを打ち込まずとも

上記のように、多くの人が社会から偏った見方を埋め込まれているわけで

こちらもそれに気付ける事から世の中が救われていくのかもしれない。

 

 

 

 

 

それぞれが手一杯に何かを抱える現状に於いて

転びそうな誰かに手を貸す事は難しい。

 

 

 


放火の加害者とされている人も、被害者となってしまった人も

もしかしたら、才能を開花させながら旅立ってしまった人も

 

増していく重さと

その反対側にある、塞ぐことのできない大きな洞を抱えながら

長くさまよっていたんだろう。

 

 

 




それが限界に達した時、最も極端な「死」という矛先を

外側の他者か内側の自分

そのどちらかに向けるのが常だったのに

 

今回火を付けた人物は

自身の命も失われる事に躊躇はなかったとされており

 



どこにも希望が見出せず

捨て鉢になって最悪の選択をしたというシナリオはテロリストに通じ


そういった事例が増えている事を知れば

背筋も寒くなる。

 

 



希望を見つけようともがく中で事件に巻き込まれ

突然命を断ち切られた被害者の方に関わりを持つ人なら

悲しみに暮れ、加害者への気持ちが治まらないのは当然の話だ。

 

 

 

ただ感情は押さえ、そこからフラットに考えれば

人が追い詰められると極端な行動に走るのはある意味自然で

今の世の中がそれだけ生きるのに困難な諸問題を抱えているという事に行き着く。

 

だから直接的な関わりがなければ

被害にあった方々を最大限悼んだあとには、せめてその死が無駄にならないよう

そして悲劇が繰り返されないための何かを考えて行かねばと思う。

 

 

 

 



そしてそれらの状況からアクセスが殺到しているだろうと思っていた「あなたのいばしょ」は

まさにその渦中にあると大空幸星さんは話し

 

求める事自体は至極肯定的に受け止めつつ

報じた最後にこういった団体へのアクセスを紹介し

言わば あとは丸投げ状態であるメディアに苦言を呈した。

 

 

 

 

関連団体が寄付によって活動を続ける中、助けを求める人達が集中すれば

当然ながら財源も厳しくなるわけで

 

支援先の紹介に留まり 寄付に言及しないメディアは思慮が足りず

社会的責任を果たしていない。

 

 

 


もっとも、多くの人々が拠り所にする先が民間団体であるのは

国策があまりに至らないからだ。

 

厚労省の相談窓口を最後に記したメディアもあったが、これも

当事者の選択順位が低いと想定しての事だろう。

 

  



だが一方で、社会が繋がりの中に成り立つ以上

それもやはり看過している私達全ての責任でもある。

 

 




このクリニックで救われた方の言葉から

医師が間違いなくその職を全うした事が伝わる。

 

「死にたいとグチを言ってた ぼくが生きてて

いろんな事をしてくれた先生が死んでしまった」

「人を信じるって気持ちを育ててきた場所が こんな形で」

 

 

 

 

医師の尊い志を、何らかの形で引き継いでいく事が

私達に与えられた課題に違いない。

 

 

 


 

 

 

 

このブログの冒頭は当初

「沢山の方が犠牲となった ビルの放火」としたけれど、それは

 

メディアが一様に選んだ言葉をただ鵜呑みにしたのだと気付き、次いで

モヤモヤと感じていたのは、その言葉が持つバイアスだという事にも気付く。

 

 

 



一度立ち止まり、フラットな言葉に置き換えないと

言葉の持つ方向に感情が引き出され、考えも引きずられがちだ。

 

 

 

もっとも報道側は、限定された文字数や時間やスペースの中で

いかに細部まで伝えようかと日々苦心を重ねているはずで

 

受け取る側も、言葉次第で心理が揺さぶられる事を念頭に置けば

ニュートラルに考えを進められるし

結果、正しく情報を読み取れると思う。

 



  


 

 



今季、少なくとも数だけは描いたと思いつつ


想い入れが深い後半作をまとめる。




 


幾つまで増やせるのか

Yuzuru Hanyu にナンバリングしたタイトル作だけでも

はや 60近くなった。

 

 

 

 


 

 

そして今

 

 

無理をせず

 

でも、どちらの演技も

思い描くように終える事を

祈りながら描き進めている。





 

 


 

身体の事も色々あり

早めとは思いますが、年内最後の更新とする予定です。

 

この一年も、思いの丈を込めただけのような私の画をご覧頂けた事は有難いばかりで

また、テーマがあちこちに飛ぶ長々とした文章にお付き合い下さった方には

申し訳なく思いつつ、こちらも深く感謝しております。

 

 

来る年も変わらず訪れて頂けるよう

勤しんで参ります。

 

 

 



皆さま、どうぞ健やかに

 

良い年をお迎え下さい。