命題



ジャーナリストの下村健一氏が話していた

香港民主化運動に対する日本人学生の受け止め方には

少なからず驚いた。

 

 

 

「誰に投票しても何も変わらないと思うから

香港の若者があそこまで熱いのは怖い」

 

「不自由なく生きている自分は、何に対して抗えばいいのかわからない」

「自由とは何なのか」

 

 

 

 

義務教育の中にも考える時間は限りなくあったはずだが

現実問題と重ね合わせられないなら、無意味になってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

満ち足りたお腹の子達に

『ご飯を探しに行こう』 と言って

行く子がいるのか

 

 

 

 

この外国人留学生の例えは

言い得て妙だ。

 

 

 

 

 

 

 

残念ながらそれは学生だけの傾向に留まらないが

熱心に考え、行動に移す若者もたくさんいる。

 

 

 

 

 

半年ほど前、ブログで触れた伊勢崎賢治氏も

「今の学生は一所懸命過ぎて」と話していた。

 

類友じゃないけれど、問題意識を持っている人のまわりには

同じような意識を持つ人が集まるとしても。

 


※ 2020.5.31 「銃の代わりになる 夢」

 伊勢崎氏は世界の紛争地へ赴き、武装解除の指揮にあたるなど

 国際活動に従事。現在は “ 平和構築学 ” の教鞭を執っている。

 

 


 

 

 

庇護のもと

明日も満腹でいられる保証はどこにもない。

 

 

安泰なはずの環境でも

オセロのように展開が変わるのはよくある話だ。

 

 

 

 

 

 

それに満腹なら

ほんの少しでも他に目を向けた方がいい。

 

 

それが自分のためでもあるのは

 

たやすく手に入る楽しみでは望めない大きな成長が

きっと得られるから。

 

 

 

 

 

  

  

それは、やはり若者に限らず

誰しも同じで。

 

 

 


 

 

 

 

 

張り巡らされたwebは 

できるだけ世界が真に幸せな方向へ進めるよう活用したい。

 

 

そして基本的に誰でも限られている各人の時間も、エネルギーも

有効に使わなければと思う。

 

 

 

 




当たり前のように得ている様々な快適さは

 

大きなリスクを抱えながら

また、誰かの努力や多くの犠牲のもと成り立っているもので

 

これからも担保されているものではないと

皆が頭の隅に置かなければ、先は危うい。

 

 

 




そして悲しい事に

1秒後に現実となるリスクは山ほどある。

 

 

知見を広めれば、いかに楽観主義者であろうと

いろんな方向に不安が膨らむはずだ。

 

 

 

 

 



そして今窮状に喘ぐ様々な場面を  


それに関わる人々の胸の内を思えば

 

  

 

自らの日々を平和に過ごすだけでは

心地悪さが否めない。

 

 


 





在るべき社会の姿を掲げ、富を得る事を最終目的としない人に

大きな支持が集まる時代でもある。

 

 

 

努めて身に付けたものではない何かをひけらかすのは

あやかった行為でしかないし、今やリスクさえ伴う。

 

 

 

 

 



けれど今も

 

脚光を浴びているものばかり求め、また

自らが脚光を浴びたいと願っている人が多いのも現実で

 

 

それが若い層によく見られる傾向である事は、昔から変わらない。

 

  

  

  

  

  

貪欲な経済に踊らされたくなければ、見識を広め   

懐を狙ってコンプレックスを作り出す煽りなどには乗らない事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今は、きちんと向き合えば

玉石混交の中に得るべき情報を探し出せる。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

日々には

 

面倒で大変な事ばかり

転がっているようだけれど

 

 

 

真の幸せも

結構あちこちに

 

小さくても確かな光を放っていて

 

 

 

それに気付くのは

生きる上でとても大切な事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10代の終わりにひとつ

創作したものがある。

 

 

 

 

 

テーマは

 

 

「人はなぜ生きるのか」

 

 

 

 

 

哲学など頭になかったその頃

 

人類の命題とも言えるような

そんな事を掲げたのは

 

誰もが自然と持つ思いだからだろう。

 

 

 

 

 

 

― 生きていれば そのうちわかるんじゃないか ―

 

 

 

 

登場人物にそう答えさせた

短く稚拙なお話は

 

その後続く事なく

私は

 

 

 

 

 

人としての華やかな年代と

実社会の中に

 

 

埋没していった。

 

 

 

 

 

 

 

そして今、長きを経て

 

 

単純だけれど幾度となく実感していた事が

答えのひとつと

 

思い至った気がしている。

 

 

 

 

 

 


ずっと引きこもりをしてきた人が綴った言葉にも

気付きがあった。




 

 

自由とは

 

自由を手に入れるのではなく

 

 

 

自由以外のものを手放すと

手に入る

 

 

 

 

 

そんな気がした

 

 

 

 

 

 

 

冒頭の

「自由とは何なのか」と問うた学生は

 

不幸せでなくとも

真の幸せをまだ知らないだろう。

 

 

 

 

そしてそれは不幸せの中に

見え隠れするもののように思う。

 

 

 

 

 

 

 

傍目にはどう映るのかわからないが私は

決して小さくないものをたくさん手放し

 

身体は症状が増えつつあり

まあまあしんどいけれど

 

 

 

 

 

それでも今

自由で

 

 

最大に幸せな気がしている。

 

 

 

 

 

 

でもそれは、上述したように

一瞬ののちに変わる事も覚悟しながら



平凡な日常を 噛み締めていこうと思う。



 



 


年末はいつも その年に制作したものを抜粋し

前後編に分けてまとめています。

 

 

なので、今回は前編を。

 

 

 

 


 

ここにまとめた作は、想い入れがとても強いものです。

 

また、これらに限らず描いたものはすべて

苦しみの中からどうにか生み出してきました。

 

 

 

 

ご覧頂けて嬉しい限りです。


本当に本当に

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

羽生さんはもちろん

写し出して下さったカメラマンの方々にも

深く感謝しております。

 

都度お礼を言えず、心苦しかったのですが

有難く思うばかりでした。

 

 

 

重ね重ねありがとうございます。

 

 

 

 

 

別の作を描きながら

次回は後編をまとめます。